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「まんがでわかる 隣のサイコパス」の感想と尾形百之助、徳川治済

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最近、「まんがでわかる 隣のサイコパス」という本を読みました。  

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ネットなんかでよく見る「サイコパス」って概念なんですが、きちんとどういうものかっていう解説は見たことがなく、漠然と「やばい人」「シリアルキラー」「平気で暴行とか殺人と化しちゃう人」みたいに感じていました。

でもこの本を読むと「サイコパス」という概念が、「他者に関する共感性がとても薄く自分中心の世界観しか持っていない」というところに集約させるんだなあとよくわかります。他人は自分と同じ感情を持つ生き物ではなく、自分の世界を成立させるための道具なのですね。

この本に出てくるサイコパスの人たちは、だれも刑事事件を起こすような人はいない。だからサイコパス=犯罪者ってわけではありません。当たり前にどこにでもいそうな人々。とくにサイコパスの人たちは表面的な人間関係を築くのがうまいようで、父親や上司として一見普通に社会になじんでいるように見えます。

しかし、彼らに濃密にかかわる人たちもしくは、サイコパスの人にとって「気に入らない」と判断された人たちにとっては、「どうしてそんなことをするのか」さっぱりわからないようなスケジュール、嫌がらせ、嘘に振り回されることになるのです。

 

例えば有名なサイコパス診断で、以下のような質問があります。

「ある人妻が夫の葬儀で出会った夫の会社の同僚に一目ぼれしました。人妻はその夜、夫との間にできた子供を殺してしまいます。それはなぜでしょう。」

普通の人は、ひとめぼれした夫の会社の同僚と結ばれるためには、夫との間にできた子供が邪魔だったからと考える。しかし、サイコパスの人は「子供の葬式でまた夫の会社の同僚に合えるから」と答える…といわれています。

どちらの回答も残忍なことに変わりはないと思いますが、よりサイコパスの回答が私たちをぞっとさせるのは「目的」の軽さのせいだと思われます。いわば、たかだか「もう一度会う」という目的のためだけに、わが子を道具のように殺せるという点が怖ろしいということですね。本来「もう一度会う」だけなら、ほかの手段をとることもできるのに、わざわざ「息子を殺す」という常人には信じられない重い方法をとるのですから。

 

さて、最近これとは別に「ゴールデンカムイ」と「大奥」を読んでるんですが…。

 

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こちら、8巻の表紙を飾ってる尾形百之助ってキャラも方々でサイコパスって言われてますね。

以下12巻までのネタバレになるのですが、

 

 

この尾形はいわいる妾の子で(「ゴールデンカムイ」の時代背景は日露戦争前後です)、母親、父親、腹違いの弟を殺しているという過去話があります。本妻に男の子ができると父親である花沢中将は尾形の母親のところに全く通わなくなり、それで母親は心を病んでしまいます。父親の好物である「あんこう鍋」ばかりを毎日作り、尾形(少年時代)が採ってきた鳥には目もくれない。たぶん尾形自身の姿も目に入っていなかったのでしょう。ある日、尾形は母親の鍋に毒を盛り母親を殺してしまいます。その動機を彼は「母に対する愛情が父に残っていれば、父は母の葬式に来てくれ、母は愛する人に会えるだろうから」と答えています。

その後、軍隊に入った尾形は本妻の子である腹違いの弟・勇作と出会います。弟でありますが、中将の息子としてすでに少尉の地位にあった勇作。しかし兄が欲しかったという彼は尾形に屈託なく話しかけます。愛のない両親から生まれ、何かが欠けていることを自覚している自分とは違う「祝福された子供」、高潔で純粋な人物として育った弟を前にし、203高地の戦場で尾形は弟を射殺します。

尾形は弟を殺した動機を弟が死ねば、もう一人の息子である自分のことを父は急にいとおしく感じるのではないか。自分にも祝福される道があったのか(確認したかった)と語ります。

ちなみにこの一連の動機の告白は、半殺し状態にした父に対して行っています。父はこれに対し、「何かが欠けた人間…出来損ないの倅」「呪われろ」と答え、直後に切腹に見せかけた形で尾形に殺されます(切腹に見せかけたのは花沢中将の率いていた第七師団をより結束させようと裏で仕掛けた鶴見中尉という黒幕がいたからです)。

母、父、弟をことごとく殺している尾形ですが、サイコパスかといわれるとちょっと違うような気もします。

たとえば母を殺した動機の葬式のくだりが、前述のサイコパス診断の問と答えにちょこっと似ているので尾形はサイコパスって言われているのかもしれません。

しかし、この話の流れでは「たかだか」父親に会うために(ほかに手段があるにもかかわらず)「わざわざ」母親を殺したとは言えない気がするんですよね。この場合は、狂って自分を見てくれない母親、自分たちを捨てた父親…普通の感覚をもって動機に全く共感できないということはないでしょう。弟の件もそう。歪んじゃった自分の代わりが非の打ちどころのない人物だったら、しんどいなって気持ちはだれでもあるはず。父親の件も、鶴見中尉がけしかけたような描写がありますし、それまでの経緯を見れば一般人には動機が理解できない!ってことはない。

ついでにいうと、作中に尾形は自分のことを「バアチャン子」といっており(多分両親の代わりに祖父母に世話になったのでしょう)、その言葉の通り、いつでも殺せたアイヌのお婆ちゃんをなるべく巻き込まないようにする配慮を見せたシーンもあります。

一方でサイコパスに見られる、「自分が目立ちたい」「自分の都合のいいように回りが動いて当然」というふるまいもあまり見られません。どちらかというと「自分を出さないのであまり何を考えているかわからない」キャラです。

これらのことを考えると、サイコパスとはちょっと違うかな、どちらかというと愛情不足からくるアダルトチルドレンって感じがするんですよね。

 

ところが同時に読んでいる「大奥」の方で、どう見てもこっちの方が…という人を見つけました。

 

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よしながふみ著の「大奥」は病気によって男子の数が激減し、女性が表の世界で活躍することになった架空の江戸時代を書いた漫画です。一般的には女性の園である「大奥」も、将軍が女性ですから逆に男性ばかりを集めたところになっています。

しかし第11巻では久々に男の将軍が登場。11代将軍徳川家斉(いえなり)です。実は家斉が将軍職に就いたのは、彼の母親徳川治済(はるさだ)の策略でした。実権を握りたかった治済は、この漫画の世界観では「政治に口を挟まない」男性を将軍にし、自分の傀儡としたのです。

この治済のふるまいこそがまさにサイコパス…。

以下11巻までのネタバレを含みます。

 

治済も少女時代尾形と同じく、母・姉と肉親を殺しています。しかしその理由は純粋に自分の権力欲のため。

治済は少女時代、愚にもつかない嘘で姉を翻弄します。例えば母親の根付け(ストラップ的なもの)を盗み、わざと姉の文箱にいれておく。姉は治済が犯人だと主張しますが、治済は「私は知らない」と言い張ります。盗む動機もない妹の悪口を言うと姉は逆に叱られてしまいます。

数年後、姉は井戸に落ちて事故死。母の具合も悪くなります。死の床にあった母は治済に根付けの事件の真相を問い詰めます。すると彼女は悪びれもなく、自分が犯人だと告白。さらに姉を井戸から突き落としたのも、母に今しがた毒をもったのも自分であり、しかしそんなものは自分の祖母吉宗の代から権力を手に入れるためには当たり前のことではないのかと顔色一つ変えません。そして、根付けを盗み、姉に罪を擦り付けた理由を一言。

「退屈だったからよ」

この動機は…とてもじゃないけれど共感できません。(「隣のサイコパス」にでてくる、自分に注目を集めるために平気で周りの人にうそをつく登場人物を思い出させます。)

まあ、権力欲しさに肉親殺しは良くある話かもしれません。すさまじいのは更にそのあと。

ある日治済は行き倒れの娘を拾ってきます。武女(むめ)という少女は、治済の息子家斉のそばで奉公しだすのですが、彼女の目の前で転んだ家斉は軽いけがを負ってしまいます。家斉を膝に抱変え、武女に責任を問う治済。目の前に毒を含んだ茶を差し出します。

「飲んで死なねばそなたはお咎め無し

死なばそれまでのこと

飲め」

武女はそれを飲み、血を吐きながら畳を血で汚したことを詫びます。血を吐かぬよう口を袖で押さえながら、苦しむ彼女を前に家斉は武女が死んでしまう!と母に訴えます。しかし、それを見ながら穏やかに笑う母。家斉をなでる手もいつもと変わらず優しいのです。

武女は結局生き残り、大人になった家斉のそばに仕えるのですが、家斉からそろそろ楽にしては…と隠居を勧められます。実質権力者である治済に了解を求めに行くと、出されたのは見覚えのある茶でした。

つまりまた、毒を飲んで生き残れたら…ということです。

武女は2度目は生き残ることはできませんでした。今度は畳を血で全く汚さず死んだ彼女を「行儀のよい子だ」と見つめる治済…。

怖すぎです。

さて、大人になった家斉は絶倫将軍として史実に名を残しているだけあり、本作でも次々に女人を孕ませ、大奥は子だくさんで財政が圧迫されるほどでした。その中の敬之助という男の子は天真爛漫、祖母である治済に人懐こくまとわりつきます。しかしその子のよだれが治済の着物につくと、彼女の顔色はさっと変わります。

「汚い」

治済は孫を突き飛ばし、踏み殺そうとします。その場は人が来て殺害には至らなかったものの、数日後敬之助は「食あたり」で死亡。さらに家斉の子供が次々と変死するようになります。そこで家斉の御台はやっと治済が多すぎる孫を「間引いて」いることに気が付くのです。

その理由は…

権力の座につくとつまらなくなり、退屈しのぎに。

退屈しのぎに「わざわざ」孫を殺す。

ちなみに治済は権力の座につくまでは表に出ず、幕閣や松平定信を上手に操り、田沼意次を巧妙に排除していきます。人心掌握の巧みさと、裏に隠れた恐ろしさ。そして、家斉が自分の意に背き始めると簡単に殺害を決意する「自分中心の世界」感。

 

 これこそまさに「サイコパス」ではないでしょうか。

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