ごろごろ独学勉強部屋

資格取得や独学、通信制大学についての記事を書いています。

MENU

close
×

朝井リョウ「正欲」を読んだ感想

本ブログ内に貼られた商品紹介リンクはアフィリエイトリンク(広告リンク)となっております。

※この記事にはプロモーション(Amazonアソシエイト)が含まれています。

今期本屋大賞候補作に読みたい本が多かった。その中で、やっと読めたのが「正欲」だった。

 

 

読んでいて共感するところも多く…とはいえ、読み終わった後はなんとなくモヤモヤしてしまう本。ネット上のいろいろな感想を読んでみて、「なるほど」と違和感の正体も分かった気がしたので、書いておこうと思う。

ネタバレ感想

主人公たちは暗に肯定されているが…

この本は異常性欲にテーマを当てている。ただ、異常性欲にのみポイントを当てているわけではなく、正規ルートを外れた生き方をしている人全体をテーマにしているように思える。

 

本のあらすじから見えるテーマはこうだ。

昨今は、多様性が持ち上げられているけれど、それって一部の多様性にのみスポットを当てているだけだよね。世間が認めない範囲外の人は、結局つぶされるよね。

 

本作で異常性欲=水に対して性的興奮する3人の登場人物は、このような鬱屈した感情を抱えているが、仲間と出会ったことで「どんな感情を持っていても、どんな人間でもいていいんだ」という結論に達する。

 

しかし、同じ性的思考の人たちと水の動画を撮ったつもりが、メンバーの中に小児愛好者が混じっていた(しかもそのメンバーが児童わいせつ動画を大量に持っていたうえ少年と援助交際した過去があった)がために仲間と思われて警察に逮捕されてしまう。

 

「少年たちに性欲を持っていたんじゃなくて、水に興奮するんです」と言っても分かってもらえないため、誤解を受けながらも沈黙する…。という悲劇的な流れになるというシナリオ。

 

つまり、読み手側としては「水に対する性欲」を肯定しながらも「小児愛好者」は全否定するという仕掛けに乘らざるを得ない。

 

小児愛好者は社会的に認められないのは、対象が児童という保護してしかるべき存在だからだと思う。仮に児童が性的にみられることを承諾したとしても、NG。手を出した大人が悪い。これは社会的に見ても作品内においても大前提として存在する。

 

すると、話に矛盾が出てきてしまう。作品終盤でメインキャラの一人が出した結論「あってはならない感情はないし、いてはいけないという人はいない」という主張が根底から崩れてしまう。

 

だって、小児愛好者はいてはいけない存在になってしまうから。

 

この作品で「水」に対する性欲というちょっと特殊な性癖を登場させ、それを肯定するなら、その話だけでやればシンプルだった。無理に小児愛好者を絡めるべきではなかったかなと思った。テーマの焦点がぼやけてしまう。

 

あるいは、小児愛好者の苦悩をメインに書くか。でも小児愛好者が自己肯定感を持つ過程を書くのは相当難易度が高いだろう。世間にも受け入れらるかどうか。

 

ちなみに小児愛好者の話は、ずっと昔にナボコフが書いている。こちらを読んだときの衝撃と比べても(比べちゃいけないのかもしれないが)ちょっと物足りない。

八重子について思うこと

この本のメインとなる登場人物の一人、八重子は「男性が怖い」という悩みを持っている。今は引きこもりとなった元エリートの兄が「JK妹もの」のAV動画を見ていたことを知ってから、男性恐怖症になってしまったのだ。

 

しかし、同大学生の諸橋に対しては「女性を性的に見る視線を感じない」ことをきっかけに、恋心を抱き始める。

 

八重子の「男性が怖い」というのは、自信の容姿コンプレックス+兄への恐怖感からくるものなので、アセクシャル的な「恋愛できない」悩みとは違うように感じる。

 

諸橋には恋心を抱いたわけだし、終盤自身も「異性愛者」と言っているので、悩みを抱えながらも多数派に属する人物なのだ。

 

八重子は諸橋が周りから遠ざかっている姿を気にかけ、「自分も悩みがあったが周りとつながることで救われる」というメッセージを発する。途中までは諸橋が同性愛者と勘違いしている八重子だが、最後は小児愛好者と勘違いして終わる。

 

八重子は、マイノリティとマジョリティをつなぐ存在として描かれているようにも思う。諸橋から拒絶されても、関わることをあきらめない芯の強さはある。しかしマイノリティ側から見ると何となく好きになれないキャラクターでもあるのではないだろうか。

 

不登校の子に対して「学校は楽しいからおいで」と家まで押しかけてくる善意を疑わない教師の姿を感じてしまう。「自分はできたから、あなたもできる」というのは今悩みを抱えている人にとって一番押し付けてほしくない意見なのではないか。

 

+八重子が男性恐怖症になった兄の動画だが、勝手に部屋に入ってパソコンを見ているわけだ。男性兄弟がいる女性なら、勝手に兄弟の部屋に入って棚をあさったらいけない。というか異性間に限らず、ある程度の年頃になったら兄弟の部屋に勝手に入ってパソコンのロックを外してはいけないのである。

 

他のマイノリティ達について

この本には、性的マイノリティ以外のマイノリティも出てくる。それが、検事・啓喜の息子である。不登校という形でマジョリティルートを外れた彼は、小学生の不登校ユーチューバーに憧れて、「学校以外の生き方」をすると主張する。

父親は世の中そんなに甘くないというスタンス。しかし不登校仲間とともにユーチューブ投稿を始め、意欲を取り戻す息子、それを見守る妻との距離がだんだん離れていく。

 

未成年ユーチューバーが知らないうちに誰かの性的対象になってしまう、という危険性が示唆されているが、これはこれで重たいテーマだと思う。しかし、ここは結局掘り下げきれなかった印象。啓喜の態度も不登校の親としては非常にテンプレ型の頭の固さで、これについていけなくなった妻の浮気と破局という流れもアリがちに見えてしまった。

 

現代の不登校というテーマでもかなりひねれそうなんだけど。全体的にもったいないような気がする。

 

にほんブログ村 資格ブログへ
にほんブログ村

↑お気に召したらどうぞクリックをお願いします。